アート作品に対峙したとき、よく頭に浮かぶ疑問があります。それは、作者はなぜここで「これで完成」という決断を下したのかということ。抽象的な作品のときは特に。実際に抽象画家の方に訪ねたこともありました。その時の返答は「うーん」とあいまいなもので、謎は謎のまま。アーティストの頭の中はやっぱりよくわからないな。と思うと同時に、創作時に迷う傾向にある私は、実は本当の意味での完成品を世に出せていないのではないかという不安が、いつも頭をよぎっていました。でもその疑問が湧きあがるような作品ほど、妙に惹かれる自分もいます。
先日訪ねた、古布に刺繍を施す「沖潤子展」もまさに、その疑問が頭をよぎり、いつまでも目が離せず妙に惹かれてしまう、そんな出会いでした。(写真上)
その展示は資生堂ギャラリーが毎年行っている「shiseido art egg」という新進アーティストの活動を応援する公募展の入選者個展だったのですが、なんと先日、その「入選作家3名と審査員による対話型公開審査会」を聴講できる機会に恵まれました。
行われたのは8/25(金)の夜。場所は資生堂銀座ビルの資生堂ホール。みんなの顔がしっかり見渡せるぐらいの広さの中、作家さん3名と審査員3名を聴講者が囲むような形で始まります。距離が近いこともあり、聞くだけのこちらまで妙に緊張してしまう空気感です。
参加に手を挙げたときは、沖潤子さん本人からあの展示や作品についてお話が聞けるのでは!というファン心理のみだったのですが、終わってみると、思いがけずものづくりをする端くれとして勉強になる考え方や刺さる言葉にたくさん出会うことになりました。
アーティストは3名。先ほどの沖潤子さんと吉田志穂さん、管亮平さん。審査員は、美術手帖の編集長・岩淵卓哉さん、美術家の宮永愛子さん、建築家の中村竜治さん。ギャラリーの方からそれぞれのご紹介もありましたが、アーティスト本人が再度展示についてプレゼンもされました。
吉田志穂さんは、自ら撮影した写真、インターネット上の画像などを使いそれらをデジタル、アナログを行き来し、幾つかの行程を織り交ぜ、「測量|山」というタイトルで新たな斜面を表すように展示した写真作品。
沖潤子さんは、古布に自己流の刺繍を施し、その古布と一体となる行為が生み出す新たな「物語」感ただようオブジェ。
管亮平さんは、美術館やギャラリー特有の展示スペースである「ホワイトキューブ」をモチーフに、写真や映像で迷宮のような視覚体験を見る側にあたえるインスタレーション。
と、、私なりに説明しましたけれど、私が実際に個展を拝見したのは沖潤子さんだけ。かつ吉田さんも管さんも実験的な要素が強めの内容で、プレゼンの言葉だけでイメージするのが正直難しく、拝見しておきたかったなとすごく後悔。。それでも、それぞれの作品への思いや考え、この展示にしたいきさつなどを淡々と、でも熱く語られる姿を間近で拝見し、とても刺激を受けました。
そして、沖潤子さん。実際に見てファンになっていただけに、どんな方なのかなという興味も沸いていたのですが、淡々とプレゼンを読み上げるお声や空気感から、冒頭にお話しした「どこでこの作品を完成とするか問題」は愚問だ。とすぐにわかりました。それはご本人のプレゼンや審査員の方からの質問への回答など、その言葉の音からも伝わってきました。理屈ではないけど「今はこれで完成」というのが自然とつかめる方なのだろうと。あくまで想像ですが。それは、ほかのお二方とは違って、「布が語り掛けてくる」という理屈じゃない部分で創作されている点からもよくわかりました。
おかげで?、私の場合は同じく布(素材)は語り掛けて来るけど、「でもさ~」って切返して手数より口数が多くなって、どれがベストか悩み始め、迷宮にはいるタイプなんだなって自己分析。。
さておき、今回は審査会。審査員の方々からの感想・批評をきくという機会もめったにありません。特に、美術雑誌の編集長、美術家、建築家という立場の違う方々が、それぞれの観点で語られていたのが興味深かったです。
特に多く議論されていたのが、この資生堂ギャラリーならでは、だからこそ、の展示になっているかという点。どの方に対してもこれは厳しい意見も多かった気がします。と同時に、どのアーティストもすごくそこを意識されて展示に向き合われていました。それでも、、なのですね。いろんな条件からそこに収まらざるを得なかった点もそれぞれあったようでしたが、それでも「最初のやりたいと思ったことに、最後まで向き合ってほしかった」、というある審査員の方からの意見が、今回、私が一番心に残った言葉でした。
そこには、間に合わないかも、失敗するかも…という不安と、自分を信じ切れるかという部分の葛藤、そして物理的な問題があると思います。でも思い描いた最初と違ったけれど、納得のいくいいものができたな。ということがよくあるというのが、ミジンコながら私がこれまで写真やアクセで展示してきて感じていたことでした。
だからこそ、「最後まで向き合う」というのは、それをすればもっと先の世界が見えるのかも……と。私はそこまで向き合ったことないかもと。
でも、やろうとしていたことと100%違うものになった(本人談)という沖潤子さんの展示、私はすごく響きました。
せっかくなので、その展示を少しご紹介。
2017年6月30日(金)~7月23日(日)
「月と蛹(さなぎ)」という展示タイトル。
天井からつるされた作品が、一つひとつがまるで蛹のように静かに、でも生きている気配を漂わせ、少し揺らめきます。不規則ながらも、ちょうど真ん中に立つと、360度オブジェの表側が見えるように配されていました。それを聞くまでは、表裏という意識なく眺めていたのですが、言われていみると確かに刺繍というのは「表」がはっきりしているもの。表を見ながら針を刺し、裏面は表を仕上げた結果であって、刺し手のエゴの介在しない部分。通常隠れるものだと思います。でも今回はそれも含めじっくり見ることができました。
意識して裏側をみてみると、やはりどこか表より無骨な気配が。でもそれが、古布の染みや破れなどと馴染み、表とはまた違う味わいがあります。心の距離が近くないと触れることができない、人の内側を見せてもらえたときのような、妙な嬉しさを感じながら裏側も楽しみました。
そして大展示室で目を奪われたものはもう1つ。オブジェのまた違う一面を表す、天井からのライトに照らされて浮かび上がるそれぞれの影です。それは、本体を眺めているだけではなかなか気が付けない姿も浮かび上がらせます。
ある影には可愛らしいお花のようなシルエット、また布地が薄いため透明感のある影など、全体の形以外にも特徴が現れていました。お花の正体をさぐると、本体の古布に小さな穴が。どうやらその穴を通して浮かび上がった模様でした。月の光に照らされて、さらされてしまった欠点も美しい。そんなシーンに出くわしたような、ハッとする空間が出来上がっていました。影の不安定な揺らめきにも魅せられ、この古布が生きてきたということ、そして今また新たな形で生きているという気配をいっそう感じさせ、愛おしさがこみ上げてきました。
作品それぞれの感想はさておき、展示に注目して少しだけご紹介しましたが、こんな風に作品のあらゆる面を堪能できる展示は、ずっと見ていたくなる素敵なものだったのです。できることならもう一回見たい。そう思っています。
でもこの展示は、本当は違う形で予定されていたという事実。知らなければそのままでしたが、私は知ってしまった……、展示室いっぱいの大きな蛹を創ろうと思われていたことを。。あーーーそれ、めっちゃ見たいっ。これ、正直な感想です。いつかを期待します!
それにしても、約3時間。コンサートよりも長いね。。と思いながら覚悟して参加したのですが、淡々と、でも熱い対話に聞き入っていたら、あっという間に時間が過ぎました。(途中機械トラブルで歌声が流れ出し、一瞬コンサート状態になるハプニングもありあました。笑)
審査員の方だけの議論のときは、きっとアーティストの方は「いや、それ違うねん!そういうことやないねん!」(なぜか関西弁 笑)と思うことも多々あっただろうなと思います。審査員の方も公開という形で、自分たちも審査されてるみたいで、ちょっと発言しにくいっておしゃっていました。(ですよね……)
でも、アートの未来を考えるきっかけになれば……と行われた今回の公開審査会は、普段閉ざされていて覗くことのできない世界を、たんなるアート好きの私も触れることができ、審査する側の人がどんな風に作品を感じてどんな基準・視点で評価をされているのかを垣間見れ、とても有意義な時間でした。
資生堂ギャラリー様、貴重な経験をありがとうございました。
そして気になる「第11回shiseido art egg賞」ですが、、、なんと!その日は決定されませんでした(笑)え?と思いましたが、また後日続きの議論をして9月半ばに発表となるそうです。
基本的にアートは点数付けるものではない気がしますが、ある評価基準であえて1番を決めることで、アーティストにとってはより羽ばたくための名刺となるわけで、「新進アーティストの活動を応援する公募展」という意味ではとても重要で意味のある結果なのだと思います。
あの議論がどういう結論にいたったかという点でも、楽しみに待ちたいと思います。
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